
はじめに:一つのパターに込めた技術者の情熱
愛知県春日井市にある町工場、榊原工機で生まれた「SAKAKI PUTTER」。このゴルフパターは、単なる製品開発の事例ではありません。精密切削加工のプロフェッショナルが、自らの技術の限界に挑戦し、5軸加工という最先端技術を駆使して生み出した「ものづくり」の結晶です。
普段は企業からの依頼部品を製造する下請けの立場にいる私たちが、なぜあえて自社製品の開発に挑んだのか。それは、お客様の視点を深く理解し、より良いサービスを提供したいという想いからでした。
ゴルフパターという製品を選んだ理由も明確でした。パターは、ゴルファーの感性と技術を直接的に反映する繊細な道具です。わずか数ミリの誤差が結果を左右し、素材の違いが打感に大きく影響します。つまり、精密加工技術の真価が問われる最適な題材だったのです。
この記事では、SAKAKI PUTTERの開発を通じて明らかになった、5軸加工技術の可能性と、小物部品の少量生産・試作開発における私たちの取り組みについて詳しくお話しします。
開発の背景:なぜ自社製品に挑戦したのか
技術力の限界への挑戦
榊原工機は「手のひらサイズの部品を中心に、小物部品なら何でも加工OK」を掲げる精密加工の専門企業です。しかし、いくら技術力に自信があっても、それを証明する具体的な製品がなければ、お客様に私たちの真の実力を伝えることは困難でした。
SAKAKI PUTTERの開発は、この課題を解決する絶好の機会でした。複雑な三次元形状、異なる素材の特性を活かした加工、そして高い精度と美しい表面仕上げ。これらすべてを一つの製品に集約することで、私たちの技術力を包括的に実証できると考えました。
特に5軸加工機の導入後、その真価を最大限に発揮できる製品を求めていました。従来の3軸加工では不可能な複雑な形状や、一度の段取りでの多面加工など、5軸加工の優位性を実際の製品開発で証明したかったのです。
お客様目線での学び
依頼された図面通りに部品を製造することと、ゼロから製品を企画・開発することは全く異なる挑戦です。素材選定から始まり、デザインの検討、試作品の評価、量産への移行まで、お客様が経験するすべてのプロセスを自ら体験することで、より深い理解と共感を持ってお客様の案件に取り組めるようになりました。
実際に開発を進める中で、「この形状を実現するためには、どんな工具が必要か」「この精度を出すためには、どの程度の時間とコストがかかるか」といった実務的な課題を肌で感じることができました。この経験は、お客様への提案力向上に直結する貴重な財産となっています。
素材選定のこだわり:ステンレスと真鍮の特性を活かす
ステンレス材の特性と加工の難しさ
SAKAKI PUTTERのメインボディには、SUS304ステンレス鋼を採用しました。ステンレスは優れた耐食性と強度を持つ反面、加工においては「難削材」として知られています。
ステンレスの加工で最も注意すべきは、その粘り強さです。切削時に材料が工具に絡み付きやすく、適切な切削条件を設定しないと工具寿命が極端に短くなります。また、加工硬化という現象により、切削中に材料表面が硬くなり、さらに加工が困難になるという悪循環に陥ることもあります。
私たちは長年の経験から、ステンレス加工における最適な工具選定と切削条件を熟知していました。高速度鋼よりも耐摩耗性に優れた超硬エンドミルを使用し、適切な切削速度と送り速度を設定。さらに、十分な切削油供給により加工熱を制御することで、美しい表面仕上げと高い寸法精度を実現しました。
真鍮材の魅力と加工技術
インサート部分には真鍮を採用しました。真鍮は銅と亜鉛の合金で、独特の黄金色と柔らかな打感が特徴です。ゴルフパターにおいて、真鍮は多くのプロゴルファーに愛用される素材として知られています。
真鍮はステンレスと比べて加工性が良好ですが、それでも注意すべきポイントがあります。材料が比較的柔らかいため、工具の刃先が鋭利でないとバリが発生しやすく、また切削抵抗によって薄肉部分が変形する可能性もあります。
これらの課題に対しては、新品の鋭利な工具を使用し、適切なクランプ方法で材料をしっかりと固定。さらに、切り込み量を細かく設定することで、変形を防ぎながら精密な加工を実現しました。
真鍮特有の美しい光沢を活かすため、仕上げ加工にも特別な配慮を行いました。微細な送り量での仕上げ切削により、鏡面に近い表面品質を実現し、高級感のある外観に仕上げています。
5軸加工技術の真価:複雑形状を一度の段取りで
5軸加工とは何か
5軸加工機とは、従来のXYZ3軸に加えて、回転軸を2軸追加した工作機械です。これにより、工具を任意の角度に傾けながら加工が可能となり、複雑な三次元形状を効率的に製造できます。
従来の3軸加工では、複雑な形状を加工する際に何度もワークの向きを変える必要がありました。これを「段取り替え」と呼びますが、段取り替えのたびに位置決め誤差が蓄積され、最終的な精度に悪影響を与えていました。
5軸加工機では、一度ワークをセットすれば、そのままの状態で複数の面を加工できます。これにより、段取り替えによる誤差を排除し、全体の精度を向上させることができるのです。
SAKAKI PUTTERにおける5軸加工の活用
パターヘッドは一見シンプルに見えますが、実は非常に複雑な形状をしています。フェース面の微細な曲面、ソール部の流線形状、そして内部の重量調整用ポケットなど、様々な要素が組み合わさっています。
特に課題となったのは、ヘッド内部の深いポケット加工でした。重心位置を最適化するため、内部に複雑な空洞を設ける必要がありましたが、この形状は従来の3軸加工では工具が物理的に届かない「アンダーカット」形状でした。
5軸加工機を使用することで、工具を斜めに傾けながらこれらの深部にアプローチすることが可能となりました。また、工具の向きを常に最適化できるため、切削抵抗を最小限に抑え、工具寿命の向上と表面品質の向上を同時に実現できました。
プログラミングの複雑さと技術者の技量
5軸加工の最大の難しさは、そのプログラミングにあります。3軸加工では比較的単純だった工具経路が、5軸では極めて複雑になります。工具の位置だけでなく、姿勢も同時に制御する必要があるため、プログラムの作成には高度な技術と経験が必要です。
私たちの技術者は、CAM(Computer Aided Manufacturing)ソフトウェアを駆使して、最適な工具経路を設計しました。加工シミュレーション機能を活用して事前に干渉チェックを行い、実際の加工でトラブルが発生しないよう細心の注意を払いました。
また、5軸加工では工具の摩耗パターンも3軸とは大きく異なります。工具が常に動いているため、摩耗の予測が困難になりますが、長年の経験から最適な工具交換タイミングを見極め、安定した品質を維持することができました。
試作から完成まで:品質向上への取り組み
初回試作での課題発見
最初の試作品を完成させたとき、私たちは多くの課題に直面しました。設計通りの形状は実現できていましたが、表面仕上げや寸法精度において、まだ改善の余地がありました。
特に問題となったのは、異なる素材の接合部分でした。ステンレスと真鍮では熱膨張係数が異なるため、加工中の熱変形の影響で、設計値から微細なずれが生じていました。この課題を解決するため、加工順序の見直しと、より効果的な冷却方法の検討を行いました。
また、表面仕上げにおいても、当初想定していた工具では十分な品質が得られませんでした。材料特性に最適化された専用工具の選定と、加工パラメータの再調整により、期待する表面品質を実現することができました。
継続的な改善プロセス
製造業において重要なのは、一度の成功に満足せず、継続的に改善を続けることです。SAKAKI PUTTERの開発においても、初回試作の後、複数回の設計変更と試作を重ねました。
例えば、重心位置の微調整のため、内部ポケットの形状を数回変更しました。わずか数グラムの重量配分変更でも、打感や操作性に大きな影響を与えるため、実際にゴルフ経験者にテストしてもらい、フィードバックを基に改良を重ねました。
この過程で得られた知見は、現在のお客様への試作品提供サービスに活かされています。「少量・試作にトコトン強い会社」としての私たちの強みは、こうした実際の開発経験に裏打ちされたものなのです。
品質管理システムの構築
SAKAKI PUTTERの開発を通じて、私たちの品質管理システムも大きく進化しました。従来は主に寸法測定に重点を置いていましたが、高級製品の開発においては、表面粗さ、真円度、平面度など、より詳細な品質項目の管理が必要であることを実感しました。
三次元測定機の活用範囲を拡大し、加工後の全数検査体制を構築。また、表面粗さ計による仕上げ品質の定量評価も導入しました。これらの設備投資により、お客様により高品質な製品を提供できる体制を整えることができました。
お客様への価値提供:開発経験を活かしたサービス向上
技術提案力の向上
SAKAKI PUTTERの開発経験は、お客様への技術提案力向上に直結しています。実際に複雑な製品開発を経験したことで、お客様の要求に対してより具体的で実践的な提案ができるようになりました。
例えば、お客様から「この形状は加工可能か」という相談をいただいた際、単に「可能です」「困難です」という回答ではなく、「この部分は5軸加工で対応可能ですが、こちらの形状については工具アクセスが困難なため、設計変更をお勧めします」といった、より詳細で建設的な提案ができるようになりました。
また、材料選定についても、実際に様々な素材を加工した経験から、お客様の用途に最適な材料を提案できるようになりました。コスト、加工性、最終製品の性能など、多角的な視点からのアドバイスが可能です。
迅速な試作対応
自社製品開発で培った迅速な試作対応能力は、お客様サービスの大きな差別化要素となっています。設計変更や仕様変更に対して、柔軟かつスピーディーに対応できる体制を構築しました。
「急ぎで部品加工を発注するときのコツ」として、お客様には図面の詳細度と材料の明確化をお願いしていますが、不明な部分があっても積極的に提案を行い、お客様の開発スケジュールに遅れが生じないよう配慮しています。
特に、試作段階での細かな設計変更については、追加コストを最小限に抑えながら対応できる仕組みを整えました。これは、私たち自身が開発過程で何度も設計変更を経験し、その都度最適な対応方法を模索した結果です。
コミュニケーション重視のサポート
製品開発において、技術的なコミュニケーションは極めて重要です。SAKAKI PUTTERの開発では、社内での密な情報共有が成功の鍵となりました。この経験を活かし、お客様とのコミュニケーションもより充実したものにしています。
「もしも、お急ぎの場合は社長はお話し好きなのでメールで返信を待つより、電話して事情を説明することをお勧めします」という方針の通り、迅速で密なコミュニケーションを心がけています。技術的な疑問点や加工上の課題について、お客様と直接対話することで、より良い解決策を見つけることができます。
まとめ:ものづくりの情熱を形にする技術力
榊原工機の技術力の証明
SAKAKI PUTTERの開発は、榊原工機の技術力を包括的に証明する成果となりました。5軸加工技術の習得と活用、異なる材料特性への対応、高精度加工の実現、そして品質管理システムの構築まで、精密加工に必要なあらゆる要素を実践的に検証することができました。
「加工難易度の高い部品も諦めない」という私たちのモットーは、この開発プロジェクトを通じてより確固たるものとなりました。複雑な形状であっても、適切な技術とアプローチがあれば必ず実現できるという自信を得ることができました。
お客様のパートナーとして
今後も私たちは「ものづくりの駆け込み寺」として、お客様の様々な加工ニーズにお応えしていきます。SAKAKI PUTTERの開発で得た経験と技術は、お客様の製品開発成功のための強力なバックアップとなります。
小物部品の少量生産や試作開発において、技術的な課題でお困りの際は、ぜひ私たちにご相談ください。階段下のピンポンを押していただければ、時には人懐っこい黒猫のノア君がお出迎えすることもある、温かみのある町工場で、皆様をお待ちしています。
SAKAKI PUTTERは、私たちの技術への情熱と、お客様への想いを込めた作品です。この一つの製品に込めた技術とノウハウを、今度は皆様の製品開発にお役立てください。